ワーク・ライフ・バランスにソーシャルの要素を追加する

 「ワーク・ライフ・バランス」という概念があります。仕事と生活のバランス。知らない方でも何となく意味は想像できるかと思います。しかしちょっと調べてみると、その内容はまず仕事ありきな印象で、言葉の優しさとは裏腹に意図したいところは少し違うのかなという感じです。
 icon-angle-double-right 仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章(内閣府HPより)

 ワーク・ライフ・バランスとは「仕事を前提としたライフ」ですね。そういった人がいても別に良いのですが、普通に考えると、自分や家族の幸福こそが一番大事ではないでしょうか。

誰もがやりがいや充実感を感じながら働き、仕事上の責任を果たす一方で、子育て・介護の時間や、家庭、地域、自己啓発等にかかる個人の時間を持てる健康で豊かな生活ができるよう、今こそ、社会全体で仕事と生活の双方の調和の実現を希求していかなければならない。」

 順序を変えて、こうしたらどうでしょう。↓

誰もが子育て・介護の時間や、家庭、地域、自己啓発等にかかる個人の時間を持てる健康で豊かな生活を前提としつつ、やりがいや充実感を感じながら働き、仕事上の責任を果たせるよう、今こそ、社会全体で仕事と生活の双方の調和の実現を希求していかなければならない。」

 我々は幸せになるために働くのであって、働く重圧の上に幸せになれるのではありません。こういった当たり前なことを当たり前に考えるために、まずライフ(人生)を最初にもってくること。それに社会とのバランス=ソーシャルを付け加えるのはどうでしょうか。

ライフ=ワーク=ソーシャル・バランス

LIFE=自分の人生や家族を豊かにすること。幸福を求めること。
WORK=対価(主に金銭的な)をもらう労働。
SOCIAL=自らが主体となって社会全体に貢献できること。

 この3つをそれぞれ別個の組織なり、一個人の活動なりでまかなうことが良いと考えています。企業や国家などはこの3つを1つの組織でまかなおうとしますが、常に危ういバランスにあります。

 我々は経済的に成功する仕組みを利用し、対価を求め競争します。それは世界がより良くあるために今も有効な方法論なのですが、犠牲や矛盾もまた体験してきたのではないかと思います。歯止めが効かない国家や企業が、成功の大きなツケを世界に残すのは言うまでもなく、我々の日常業務においても(対価を与えるという名目のもと)大なり小なりどこかに犠牲や負担を強いるのは、感じられることではないでしょうか。一時的に実現できることはありますが、油断するとLIFE≠WORK≠SOCIALです。

 LIFE、WORKとSOCIALはそれぞれが本質的に相性が悪く、それ故に強烈な化学反応が起きることもありますが、多くの場合は「混ぜるな危険」です。そして、この3つの中で圧倒的に自立性が高いのはWORKです。とりあえず「働いて」おけば、人生や社会とのバランスが悪くても、(法を踏み越えない限り)文句も出ず、LIFEとSOCIALはWORKに従属しがちです。

 しかし本当に重要なのは、我々一個人の人生(=LIFE)であり、他人には測られない満足度ではないでしょうか。

 自分の仕事で、会社なりクライアント企業の売上が100億円あがった。嬉しいですね。上司や同僚、クライアントの担当者も喜んでくれるでしょう。でも「会社」がニコニコしたり涙を流して喜んでくれるわけではありませんし、あなたの手元に100億円入るわけでもありません。その意味を少し距離を置いて考える必要があります。

社会に還元できる比重を測る

 良い意味でも悪い意味でも、誰かの負担は誰かの笑顔とも言えます。誰かのWORKが誰かのLIFEやSOCIALを支える。誰かのSOCIALな活動が、誰かの過剰なWORKを止めたり、LIFEを救うかもしれません。そして自分のLIFEを自分で充足させる。それらは分けて考え、自らが主体となって計画し、選択していく方が幸福に近いのではないでしょうか。まず、自分と家族が幸福に生きるという前提があり、そのために労働があり、さらに余剰な時間や物質・技術を社会へ還元する方法を模索する。何より金銭的な価値に変換し得ない人生に対する主体性と創造性を恢復させるということです。

 余剰などない、と考える人もいるかもしれません。現代はWORKの割合が大きすぎて、余った部分でLIFE。SOCIALは国や会社が勝手にやってほしいということだと思います。WORK>LIFE>>SOCIALは、多くの人の実感ではないかと思います。WORKは搾取的だからです。SOCIALな活動に回していたりしたら、せっかく辛うじて守っていたLIFEも奪われかねません(イノベーションとクリエイティブという観点からも、SOCIALは重要だと思いますが、やはりWORKの比重が大きくなって喜ぶ人達がいるでしょう)。

 しかし、社会に還元するというと、大事に聞こえるかもしれませんが、現代はクラウドファンディングなど数千円単位からで志のあるプロジェクトがあります。それでも躊躇う人が多くいて、それだけ我々の生活はWORKに圧迫されています。WORK以外の活動が考えにくいのです。しかし自分が共感できる理想に数千円は本当に高いのでしょうか。

 一千万円必要なプロジェクトがあって、一人の人間や企業がポンッと出してもよいですが、一万人が千円だしても良いです。一万人とは一億人の0.01%です。共感の輪が広がれば、不可能な数字ではありません。一千万円出した一人にはきっと満足感もあるでしょうが、千円を出した一万人にとっても満足感があって良いでしょう。一千万円出した人が善人で、千円出した人は偽善ということにはなりません。「多くの人の生活をより良くするための負担を、誰かがする」ということと、「誰かがより良く生きるための負担を、多くの人がする」ということには、そんなに差はないのではないかと思います。

自分の人生のバランスを自分でデザインする

 近年は大企業によらずとも、社会的に注目度の高い社会事業もたくさんあります。「二枚目の名刺が世界を変える」なんて言いますが、千円のクラウドファンディングでも本当に変わるのは自分自身の生き方であり価値観です。

 自分が主体となって複数の共同体や活動の中でバランスをとるということ。つまり、一つの共同体の圧倒的なWORK(とそれに従属するLIFE、SOCIAL)で成り立たせるのではなく、ライフ=ワーク=ソーシャル・バランスの中で自分の人生を主体的にデザインするというのが今後、生き方をより豊かにしていくのではないでしょうか。