トークイベント「デザインと権利と感情 / 民意」に行きました

オリンピックのエンブレム問題の一つの区切りとして、「デザインと権利と感情 / 民意」に行ってきました。グラフィックデザイナーとデザイン専門誌の編集長、アートとデザインの著作権に詳しい弁護士による五輪エンブレム問題を中心したトークイベントです。デザイナーがこの問題について直接語ることが少なかったので、貴重な機会と思い、足を運びました。一つ一つ言葉を選びながら、慎重に話されていたと思います。

私が感じたことは、大手メディアにおいても、デザインの専門家に意見を訊くという姿勢が殆ど見られたなかったことです。
映画は映画の専門家に、美術は美術の専門家にまず話を訊くと思うのですが、一般的にデザインについては誰に訊けばいいのか誰もわからなかったのではないか。「デザインの専門家に話を訊け」というのではなく、むしろ一般大衆が信頼できる(あるいは批評、批判に足る)言説がデザインには存在しなかったということです。デザイン業界を軽々と飛び越えて、弁護士など法律の専門家に「著作権上の問題」について伺う記事ばかりでした。

デザインにおける批評文化の欠如

端的に言えば、デザインにおける批評文化の欠如があります。政治でも批判があることは健全とはよく言うことですが、一つのデザイン(この場合は特にグラフィックですが)に対して、称賛はあっても批判が起こることはまずありません。「ある種のコミュニティに入らなければ、有名になることもない」というデザイナーの意見がありましたが、当たらずも遠からずといった印象で、批評がないということはそういったことすら選考基準になりうるということです。そうして作られた「一体感」と「ノリの良さ」が良くも悪くも日本経済の発展を支え、世界に通じる日本のデザインを作ってきたのだと思います。

それはfacebookの「いいね!」のように、内容を精査することなくクリックひとつで消費されるその場限りの印象ととても良く似ています(エンブレム問題に関しても自分の意見を発信するより、他人の良さそうな意見に「いいね」をするデザイナーが目立ちました)。だから批評も発展せず、結果として今回の問題に関しては、デザイナー側の意見も極めて稚拙なものが目立ちました。

それはジャーナリズムの問題というより、まず製作する側の問題ではないか。
一般的にデザイナーは「デザインで語る」というメンタリティが強く、今回の問題に関しても「言いたいことはいろいろあるけれど、明日からまたモノづくりでがんばろう」というコメントがデザイナーからも散見されました。デザイナーは徒弟制度の名残か、口を出すより手を動かせという風潮があります。「しゃべりがたつデザイナーはそれだけで貴重」という言葉がありますが、逆にいうと口がまわるデザイナーは異端であり、人によっては目障りな一面があるということです。
デザイナー個人がデザインについて、人とは違う意見を拙い言葉だからこそ発信していかなければ、批評文化も発展のしようがなく、広く一般にデザインが文化として根付くこともないのではないかと思います。