倉俣史朗の椅子の前で考えること

先日、倉俣史朗のニュースを久しぶりに見た。
「ミス・ブランチ」には、作られてから30年近く経った今でも、デザインの再定義を促す力がある。
椅子は、機能的であることが重要なのか。
座り心地がよいことが重要なのか。
あるいはただ部屋の飾りとして美しいことか。
経済活動の中で、循環しなければならないのか。

透明なアクリルでできた椅子の中に、時間と重力から解き放たれたようなバラの花が浮いている。
それはただ美しいと言うようなものでもなく、そこに至る思考すら自然と停止する。
デザインでもなくアートでもない。
論理的な帰結を拒絶して、そのギリギリのところで浮遊している。
倉俣史朗がデザイナーであるならば、私は他にデザイナーを一人も知らない。
倉俣史朗は、そういったデザイナーだ。

参考
Shiro Kuramata’s Miss Blanche armchair breaks world record at auction with £269,000 sale